30数年間都内の高等学校で英語を教えていましたが、現役を引退し、以前より興味のあった翻訳の勉強を本格的に始めようとバベル翻訳大学院の文芸翻訳専攻に入学しました。一般教養書のドキュメント関連の出版翻訳を目指しています。自分で納得した作品を一つでも多く残せたらと思っています。この年齢で何ができるのかと自問することもしばしばですが、可能性を信じて頑張ろうと思っています。
書店で自分が翻訳した本を目にした時の嬉しさはどんなものかと想像しています。以前(30年程前)バベルの通信講座を受講していました。当時は現在程IT環境は整備されておらず、分厚い紙の辞書と格闘したり一日中図書館や資料館を歩きまわりながら、翻訳という作業の実感を得ていたように思います。 課題の答案も手書きでした。返却された答案の赤入れを見る度に、「翻訳力」は原語(英語)と翻訳語(日本語)に対する深い理解はもちろん、翻訳語に対する鋭いセンスが必要であることを痛感しました。いわゆる英文和訳ではないと頭では理解していたつもりが、現実の厳しさにため息ばかりの日々でした。 今や翻訳を取り巻く環境は大きく変化しています。進歩の著しいIT技術は翻訳には不可欠となりました。とりわけネット環境の進歩により、時間的・地理的制限を受けずに情報収集や事務処理ができるようになりました。ITなしでは「翻訳」は語れないとまでは言いませんが、今の時代、翻訳会社に所属するかフリーランスかに関わらず、IT技術に習熟することは、本来の翻訳力である「原語と翻訳語に関する理解」と同じ程度に「翻訳」に必要なスキルです。 もちろん翻訳する分野の専門的知識や理解も翻訳力に直結するスキルです。IT技術、専門知識、日本語力、マネジメントに関する法律知識等は、今や誰もが認める翻訳をサポートするセコンド・スキルになっています。 ではこれだけのスキルを習得すれば、本当に納得のいく翻訳ができるのかと考えた時、何か足りないものがあるように思えてなりませんでした。そこで、その足りないと感じているものを明らかにするために、「翻訳」という一連の作業を、少々乱暴ですが大きく二つに分けてみました。 先ず「何を翻訳するのか?」という部分と、「どのように翻訳するのか?」の二つに分類します。IT技術や専門知識の理解は、「どう翻訳するのか?」をサポートする翻訳スキルであって、「何を翻訳するのか?」に対する答えを見つけるためのスキルではないように思えます。 殆どの場合(主に産業翻訳がそうですが、出版翻訳の場合でも、出版社や依頼主の意向を受けて翻訳する場合は同じ構図かと思います)、この「何を翻訳するのか?」を翻訳者本人が選択する余地は殆どありません。翻訳すべきものは既に翻訳者とは別に選択されており、翻訳者が先ず直面するのは、与えられた題材を「どのように翻訳するのか?」であって先程のスキルはこの課題を解決するためのスキルなのです。 急速な時代の流れと変化に即座に対応していくことが不可欠なビジネスにおいて、「何を翻訳するのか?」まで翻訳者の選択に任せていては、激しい競争を勝ち抜くことは難しいでしょう。文芸翻訳の世界でも、必要とされるスピードの違いはあっても、背景となる構図は同じことだとも言えますが、他の分野よりも少しだけ「何を翻訳するのか?」を選択することが翻訳者に与えられていると思っていますし、そうした環境で翻訳できればというささやかな望みを持っています。 そんな呑気なことでは生活できない」とか「趣味で翻訳しているわけじゃない」という厳しい批判が聞こえてきそうです。しかし私は、この「何を翻訳するのか?」を広い視点から選択できるセンスを、今後の目指すセコンド・スキルにしたいと思っています。作品選びから始まる卒業作品の講座で、このあたりをしっかりと指導していただけると期待しています。世界中に無数にある題材の中から、時代が求める作品を的確に選択するスキルは、何か目に見える特別な訓練で身に着けるというよりは、社会に発信する責任を負った翻訳者として常に心得ておきたい心構えと言い換えた方が適切かもしれません。 今、社会が必要としている情報は何か、将来を見越して今発信するべき情報は何かを見据えたセンスです。少なくともこの選択に翻訳者として関与できることで、自分が属している社会にコミットしているという実感が持てるようになりたいものです。 もちろん翻訳作品は商品ですから、商品としての評判を高めて多くの読者を獲得することが求められます。これを扱うスキルがいわゆるマーケティングです。「何を翻訳するのか?」「翻訳で何を社会に発信するのか?」「社会が必要としているものとは?」という問いに対する答えを探すことも、広い意味でのマーケティングと言えないでしょうか。 ビジネスの世界に疎いので、このような拡大解釈が可能なのか自信はありませんが、少なくとも社会に情報を発信しようとする翻訳者が忘れてはならない視点であるし、翻訳者として身に着けたいスキルです。 翻訳全体の歩みは遅くなるかもしれませんが、翻訳者自身の興味関心に裏付けされた選択であり、しかも自らが選択した責任とも相まって翻訳に対するモチベーションが高まり、結果として「原語と翻訳語の理解」、とりわけ翻訳語に対する意識、そして関連する専門分野への理解等、つまり「どのように翻訳するのか?」に対する姿勢にも良い効果をもたらすと思っています。 昨年、バベルが主催する共訳プログラムに参加する機会を得ることができ、今年の6月頃に出版予定です。この翻訳作業の中で感じたのは、訳語の選択や文体等、本来「どのように翻訳するのか?」に関わるはずの事柄が、「何を翻訳するのか?」というテーマに深く絡んでいるという点でした。言い換えれば、「何を翻訳するのか?」が著者の「何を社会に対して発信したいのか」という視点にどこまでシンクロできるかが翻訳の質を左右するという当たり前の事実でした。未だ勉強は始まったばかりですが、翻訳すべき運命の作品に出会うことを密かに期待している毎日です。
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