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バベル翻訳大学院は、1974年創業の翻訳学校 - 文芸翻訳、金融・IR翻訳、特許翻訳、医薬翻訳、法律翻訳など、世界中どこでも受講できます。

ゲルマンの知性をしなやかな日本語で!

講座プロフェッサーからのメッセージ

津崎プロフェッサー

津崎正行(つざき まさゆき)

1973年、東京都出身。慶應義塾大学大学院文学研究科独文学専攻博士課程単位取得退学。慶應義塾大学、東京理科大学非常勤講師。近代ドイツ演劇を専攻。
論文に「ゲーアハルト・ハウプトマンのドラマ『ヴィッテンベルクのハムレット』について」、「ゲーアハルト・ハウプトマンの『ハムレット』改作について」、「ゲーアハルト・ハウプトマンの『ハムレットについての対話』」など。ドイツ演劇に関する翻訳として、ハンス=ティース・レーマン「『ポストドラマ演劇』の十二年後」など。


翻訳独文法とは

すでにドイツ語の文法を一通り学びおえた人が、その知識を翻訳にいかすにはどうしたらよいか。さらに、ある程度の速度で学習しなくてはならなかったために見落とされた事柄を補うにはどうしたらよいか。――こうしたことを考え合わせながら、ドイツ語を他人のために日本語にしてつたえる技術を学ぶのが、この講座の目的です。「翻訳独文法」というタイトルがついているからといって、文法の学習が目的ではありません。あくまで補助手段であるべき文法が主役になってあなたを束縛するのであってはいけません。

私たちは、外国語であるドイツ語を短い時間のうちに、意識的に学ぼうとしてきました。日本語を習得したときほど長い時間をかけることも、感覚の力に頼ることもできないので、つとめて知的にドイツ語を学んできました。短期間に知的に学ぶということは、つまり文法に頼って学ぶことにほかなりませんでした。今、私たちは文法に感謝するべきでしょう。文法がなかったら、私たちはこれほど速く手際よく外国語を知ることができなかったはずですから。

けれども、学校などでのドイツ語学習は、文法中心の知的教育であるがゆえに、一定のパターンを私たちに押しつけがちでした。ドイツ語を理解したことを証明するために、名詞は名詞に、動詞は動詞にといったように、原文の文法的な構造をなるべく忠実に反映する訳をするようにしつけられてきました。学習の過程において、これは避けがたいことでした。問題はその次にあります。今しも、あなたはドイツ語を翻訳する人になろうとしています。自分自身の理解のためだけでなく、他人のために訳してあげる人になろうとしています。あなたは今、独文和訳と呼ばれるパターン認識の手続きが、そのまま翻訳として適用するものであるかどうか、考えてみなくてはなりません。いったい、独文和訳は翻訳そのものであるのでしょうか。

Ach, ich habe furchtbares Zahnweh!

学校での独文和訳の問題にこのような文章があるとしましょう。[ああ、私はおそろしい歯痛をもつ!] と訳せばすみます。しかし、たとえば子供が親にいう言葉だとしたらどうでしょうか。こんな日本語で歯の痛みをうったえる子供があなたのまわりにいるでしょうか。翻訳者はこの言葉が発せられた状況をわきまえて、せめて [歯がすごく痛いよう!] ぐらいに訳すことができてほしいものです。つまり、独文和訳とは前後関係ぬきで、文法の約束事を最優先する日本語訳の作業であるのに対して、翻訳とは、状況にふさわしい日本語文を創作することなのです。

翻訳とは、なるべく日本語として自然なものと思われる文章で、状況にふさわしい内容を表現しようとする態度から生まれます。したがって、独文和訳のレベルにとどまっているかぎり、あなたは翻訳の領域にはいることができません。以上のことを念頭におきながら、翻訳実践の基礎勉強にとりくんでみましょう。